トム・フォードのアートセンスに酔いしれる ☆5点
1993年発行オースティン・ライト著「ミステリ原稿(原題:Tony and Susan)」の映画化で2016年第73回ヴェネツィア国際映画祭審査員大賞のトム・フォード監督作。主演はエイミー・アダムス、共演にジェイク・ギレンホール
予告編
映画データ
本作は2017年11月3日(金)公開で全国で20館弱での公開です。
今後順次全国公開されるようで最終的には50館強での公開となるようです。
予告編はシャンテに行ったときによく見てまして、秋公開の映画では本作と『女神の見えざる手』が面白そうだなと思っておりました。
本作は2016年9月2日(金)にヴェネツィア映画祭で初上映されると、北米では2016年11月18日(金)より限定公開、2016年12月9日(金)より拡大公開され、日本公開は約1年待たされたんですけど、タイミング的にはドンピシャじゃないかと思ったので、その辺のことは後で書こうと思います。
監督はトム・フォード
最初に名前を聞いたときは、ファッションデザイナーのトム・フォードと同姓同名の人かと思ったんですが、映画を撮られてたの知らなかったんです。
経歴なんかはこちらをご覧ください。
テキサス州出身なんですね。
詳しい経歴を初めて知って、感じたこともあるので、その辺のことも後で書こうと思います。
主演はエイミー・アダムス
近作は『ザ・マスター』『アメリカン・ハッスル』『her/世界でひとつの彼女』『メッセージ』を観てます。
共演にジェイク・ギレンホール
近作は『複製された男』『ナイトクローラー』『サウスポー』『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』『エベレスト 3D』『ライフ』を観てます。
共演にマイケル・シャノン
近作は『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』を観てます。
共演にアーロン・テイラー=ジョンソン
近作は『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』を観てます。
他に共演と配役は以下の通りです。
スーザン・モロー: エイミー・アダムス
トニー・ヘイスティングス/エドワード・シェフィールド: ジェイク・ギレンホール
ボビー・アンディーズ: マイケル・シャノン
レイ・マーカス: アーロン・テイラー=ジョンソン
ローラ・ヘイスティングス: アイラ・フィッシャー
インディア・ヘイスティングス: エリー・バンバー
ハットン・モロー: アーミー・ハマー
ルー: カール・グルスマン
ターク: ロバート・アラマヨ
アン・サットン: ローラ・リニー
アレシア: アンドレア・ライズブロー
カルロス: マイケル・シーン
サマンサ・モロー: インディア・メニューズ
あらすじ
スーザン(エイミー・アダムス)はアートギャラリーのオーナー。夫ハットン(アーミー・ハマー)とともに経済的には恵まれながらも心は満たされない生活を送っていた。ある週末、20年前に離婚した元夫のエドワード(ジェイク・ギレンホール)から、彼が書いた小説「夜の獣たち(ノクターナル・アニマルズ)」が送られてくる。
夜のハイウェイの運転中に、レイ(アーロン・テイラー=ジョンソン)らに襲われるトニー(ジェイク・ギレンホール二役)とその妻(アイラ・フィッシャー)と娘(エリー・バンバー)。家族を見失ったトニーはボビー・アンディーズ警部補(マイケル・シャノン)と共に行方を探すのだが……。
彼女に捧げられたその小説は暴力的で衝撃的な内容だった。精神的弱さを軽蔑していたはずの元夫の送ってきた小説の中に、それまで触れたことのない非凡な才能を読み取り、再会を望むようになるスーザン。彼はなぜ小説を送ってきたのか。それはまだ残る愛なのか、それとも復讐なのか――。
(公式サイトより引用)
ネタバレ感想
冒頭からデブモデル(プラスサイズモデルっていうみたいです)のストリップでド肝を抜かれる本作なんですが、プラスサイズモデルは基本ストーリーには関係ありません。
何かの暗喩になってるかもしれませんが。
プラスサイズモデルが踊ってるのは、スーザンが企画した美術展の作品で、裸で踊ってるのを大きなモニタで映したり、裸で台の上で静物になったりしてるアートなんですね。
このアシュリー・グラハムという方はプラスサイズモデルとして有名なんだそうですが、まだまだ細い方で下の記事の素人モデルさんをさらに太らせた感じの人がでてきました。
この美術展は金曜日のこの日が初日で、大盛況に終わってスーザンは自宅に帰ってきます。
この映画、基本的にこの週末の金、土、日、月、火の話です。
スーザンの家は物凄い金持ちで、使用人とか複数人雇ってます。
夫のハットンも美術関係の仕事だと思うんですけど、夫婦仲は冷めきってます。
美術展の初日に見に来てくれなかったり、明けて土曜日は週末なのでスーザンは夫とビーチに行こうと思ったのですが、夫は仕事でニューヨークに行かなきゃいけないと言います。
まぁ夫はニューヨークで不倫してるんですけどね。
それで一応、お金持ちなんですが、どうやら夫の事業が上手くいってないようで、結構ギリギリのところで踏ん張ってるという背景があります。
土曜日の朝、19年前の大学院生時代に2年間だけ結婚してた元夫のエドワードから小説のゲラが送られてきます。
スーザンは全然連絡を取って無かったので不思議に思ったのですが、今度出す新作の小説で感想が欲しいと手紙が添えられてました。
スーザンとエドワードの馴れ初めは、小説を読んでいる間に回想形式で挟み込まれるんですが、まとめて先に書いときますね。
スーザンとエドワードはテキサス出身の同窓でお互いの家族も知ってるような間柄でした。
2人共、ニューヨークの大学に通ってたんですが、大学もそろそろ卒業の頃、街中でばったり出会います。
そのまま食事する流れになり、エドワードが昔からスーザンのことが好きだったと打ち明けると付き合うことになります。
スーザンの実家はお金持ちでゲイの兄がいましたが勘当されていて、そういうのを認めないザ・共和党みたいな保守的な両親に反発してました。
一方、エドワードの方は小説家志望で野心とかギラギラしたものが無いタイプで、そういうところに惹かれます。
スーザンは母親に結婚したいと相談すると、付き合うだけならいいが結婚はダメと反対されます。
母親曰く、エドワードは弱いと。
要は自分でお金を稼いで、道を切り開いて、妻を養ってく強さが無いということで、ブルジョアの家に育ったスーザンに耐えられるはずが無いと言うのです。
スーザンは市場原理主義者のような母親を嫌ってますが、母親曰く「私を毛嫌いしてるけど、私とスーザンは似ている」と言います。
結局、反対を押し切ってスーザンはエドワードと結婚しますが、エドワードは大学院も辞めてしまい小説の執筆が中心になります。
執筆した小説はスーザンが必ず読んで感想を求められてましたが、正直にダメ出しするとエドワードは傷ついてばかりいます。
ダメだしされて奮起するということは無く、それでいて稼ぎは無いわけですから、スーザンもフラストレーションが溜まってケンカになります。
結局スーザンはエドワードの夢を支えきることが出来ず、母親が言った通り離婚することになります。
スーザンがエドワードと離婚するにあたって傷つけてたことがあって、それはエドワードには内緒で子供を中絶してたことでした。
スーザンはその頃には母親から、金持ちである現夫のハットンを紹介されていて、病院に付き添ってもらっていましたが、その現場をエドワードに見られていました。
土曜日、スーザンは知人のパーティに夫と一緒に顔を出すと、そのまま空港に出発する夫を見送って家に帰ります。
週末はビーチに行こうと使用人にも暇を与えていたので、家では一人きりになると送られてきた原稿を読みます。
それで冒頭、アメリカ公開から1年待たされたと書きましたが、この小説の内容がタイムリーで、先日話題になった東名高速追突事故で夫婦2人が亡くなった状況にそっくりなんです。
小説ではヘイスティング一家が旅行に行こうとハイウェイを夜走ってると、2車線の道路に2台の車が並走してゆっくり走ってます。
トニーはしばらく後ろを尾いてたんですが空かないので、クラクションを鳴らすと片方の車がどきます。
そこでトニーは追い抜いていくんですが、一瞬だけチラッと見ると地元のチンピラみたいなのが運転してました。
すると追い抜いたら後部座席に座ってた娘が振り向いて中指立ててファックサインをしてしまいます。
それで怒ったチンピラたちが2台の車で追いかけてきて、幅寄せやぶつかってきて強引に止めさせられます。
トニーは車を停めても鍵を掛けて窓を僅かに開けただけで対応してたんですが、ぶつかってきたレイの言い分が無茶苦茶なんですね。
「ぶつかっといて逃げるのか?」とかそういうこと言う訳です。
トニーはあまりにも言いがかりが酷いんで警察に電話しようとしたんですけど、テキサスの荒野を走ってたので電波が通じません。
レイは理不尽なことを言ったかと思えば、なだめすかしたりしてトニーを揺さぶると、「タイヤがパンクしてるので交換してやる」と言います。
ここで「トニー、車から降りちゃダメだ!」と思うんですけど、トニーは車から降りちゃってスペアタイヤをトランクから出そうとしたりします。
「人が乗ってちゃジャッキアップも出来ない」ということで妻も娘も降ろされるんですが、「もうレイプされるに決まってるじゃん」と思って観てるのでイヤミスみたいに気持ちがどんよりするのです。
結局、トニーは車ごと妻と娘を奪われて、自分も荒野に放置されると、翌朝、レイプされて全裸で放置された妻と娘の遺体を見つけます。
トニーは現場から数キロ歩いて民家を見つけると電話を借りて警察に通報します。
担当してくれたのはボビー・アンディーズという保安官でテンガロンハットを被ったカウボーイみたいな人でした。
半年から1年くらい経つと現場に残された指紋からルーという容疑者が割れます。
トニーが面通しすると、トニーに車を運転させて置き去りにした人物でした。
ルーは3人組による別の強盗事件で逮捕されたのですが、3人組のうち1人は射殺され、もう1人は逃げたとのことで、逃げた容疑者がレイの可能性がありました。
ボビー刑事はルーの交友関係からレイの自宅を突き止めると、トニーに面通しを依頼します。
家の前から気づかれないように確認すると、確かにレイでした。
レイはトニーの事件に関しては直接的な証拠が無いので、ボビー刑事は任意でレイを引っ張ります。
レイはトニーを前にしてもしらばっくれるばかりで事件への関与を否定します。
そのうちにボビー刑事も捜査を外されるようになるとレイは釈放されてしまいます。
失意の底にいたトニーの元にボビー刑事が訪ねてきます。
ボビー刑事は末期がんを患っているとのことで、自分の最後に事件にケリをつけたいと言います。
それは暗に私刑を意味し、トニーにもその覚悟があるかを確認しにきたのでした。
ボビー刑事はレイとルーを連れてくると、お互いを裏切らせて口を割らせようとしますが、口を割りません。
トニーが銃を持って脅してる間にボビー刑事の具合が悪くなると、レイとルーが逃走を図ります。
ボビー刑事がトニーから銃を奪い、逃げるルーを射殺しますがレイを逃がしてしまいます。
ボビー刑事はトニーに銃を託し、レイへの復讐を任せます。
トニーはレイが逃げた先は最初の事件現場だと考え向かうとレイが隠れています。
レイは事件を白状しトニーの妻と娘を罵ると、隠し持った火かき棒で襲おうとしますが、トニーの銃が先に火を噴きます。
2発命中させるとレイは死にますが、自身も殴られて気を失ってしまいます。
トニーは意識を取り戻すと視力を失ってることに気づき、小屋を出ます。
頭部にも怪我を負ってるトニーはそのまま草むらに倒れ込むと死んでしまい小説は終わります。
土、日、月と寝不足になりながらも夢中で読み終えたスーザンは、当初、水曜に会う予定だったエドワードに火曜日に会おうとメールで伝えます。
エドワードからはすぐに返信があり、時間とお店の場所は任せるとのことでした。
スーザンは胸の開いたセクシーなドレスで予約した高級中華料理店に向かいます。
スーザンが先に着き、テーブルでエドワードを待ちますが、一向に現れません。
スーザンは閉店まで待ちますが、結局エドワードは現れず、そのまま映画は終わります。
終わった瞬間は、「えっ、これで終わりなの?」と思ったのと、劇中小説がエドワードの私小説かと思って混乱したのですが、映画館のロビーに置いてあったサンプルのパンフレットを読んで合点がいきました。
まず、劇中小説に出てくる奥さん、ずっとエイミー・アダムスだと思ってたんですよね。
元夫役のジェイク・ギレンホールが小説内の主人公も演じてることから、てっきりエドワードとスーザンの過去にあったことを元に小説にしてるかと思ったんです。
なので東名追突事故みたいな展開はすごくハラハラしたんですが、奥さんが殺されちゃうと「あれ、スーザン生きてるし、どういうこと?」と思ったんですよね。
それから、そのあと小説を読んでるスーザンが朝早くに娘に電話するシーンもあったりして、「妻も娘も生きてるじゃん」と思ったんですけど、完全にエドワードとトニーを同一視していたという間抜けな自分がいます。
これ監督のキャスティングの狙い通りだと思うんですが、『メッセージ』のときの感想にも書きましたが、エイミー・アダムスとニコール・キッドマンとナオミ・ワッツあたりがごっちゃになっている自分には高等テク過ぎます(笑)
(レディ・ガガも間違えたのかよ(笑)俺は悪くない)
だからパンフレット見て、劇中小説の奥さんの役がアイラ・フィッシャーって書いてあったときはビックリしました!
それから回想シーンでのエドワードとスーザンがニューヨークの街中で会うシーンも、スーザンの髪が短く見えて、そのままレストランに移動したら長かったので、時間軸が分からなくなって意図的にやってるのかな?とか思ったんですが、街中で会ったときはコートの襟の中に髪先が隠れていて、ボブみたいに見えてただけなんですけど、何かちょっと変なことをやってるのかな?と勘ぐって観てしまったのも、自分が混乱した原因だと思います。
劇中小説問題は片付きまして、ラストですが、他の方の感想にもあるように、スーザンが月曜日に出社したときに自身で購入したことも忘れて「REVENGE」というアート作品に見入っていたので、エドワードが現れなかったのは復讐なんだと思います。
スーザンは何年か前に電話しても出てくれなくて、別れてから音沙汰が無かったエドワードが突然送ってきた原稿の意味も分からず読み進めるわけですが、その文章はかつて母親が「弱い」と形容し、スーザンは「繊細」と言い換えていたエドワードの性格とは全く違い暴力的な物でした。
才能を信じ切れずに捨てたエドワードの小説に20年経って魅了され、早く会いたいと思わせておいて、約束をすっぽかされるというのは素直に復讐と捉えていいのではないかと思います。
と思いましたがこちらのブログを拝見しましたら、ことはそんな単純では無いようです。
自分なんかでは辿り着けない考察でこれ正解な気がします。
そうそう細かい伏線ちょこちょこあるんですよね。
DVD出たら要チェキな気がします。
原作小説は未読ですが、小説では「平凡な主婦」というのがお金持ちになってて、舞台がテキサスになってるのも小説とは違うようです。
テキサスと言えばダラス・カウボーイズなどに代表されるようにカウボーイのイメージで男らしいイメージがあります。
劇中小説のボビー刑事もカウボーイハットを被ってます。
なのでトム・フォードがテキサス出身だと知って、そういう土地柄から世界的なファッションデザイナーが誕生するのは、意外な気もしたのですが、劇中小説の主人公トニーと名前もトムで似ていますし、トム・フォードもニューヨークの大学で美術史を学んでいたようなのでエドワードの設定と被り、監督自身のことも投影されてるのかなぁ?なんて思った次第です。
(スーザンの兄のゲイ設定とかも)
劇中小説「夜の獣たち(ノクターナル・アニマルズ)」はコーマック・マッカシーの小説っぽいとも思ったんですよね。
現在パートの裕福だけど空虚な感じはドン・デリーロの『コズモポリス』とか
観終わった直後は?となった作品ですが、現代アメリカ文学とトム・フォードのアートセンスが高い次元で結びついた傑作だと思います。
それにしても本作といい『アメリカン・ハッスル』といいエイミー・アダムスの胸の谷間よ
鑑賞データ
角川シネマ新宿 TCGメンバーズ ハッピーフライデー 1000円
2017年 186作品目 累計199300円 1作品単価1072円
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