面白いんですがやや御都合主義な部分も ☆4点
予告編
映画データ
あらすじ
ママ(ブリー・ラーソン)とジャック(ジェイコブ・トレンブレイ)が二人で暮らす狭い部屋に、今日も新しい朝が来た。ジャックは、電気スタンドや洗面台、トイレにまで「おはよう」と挨拶し、「僕、5歳だよ」と宣言する。今日はジャックの誕生日、ママがケーキを焼いてくれると聞いて、喜ぶジャック。歯磨き、ストレッチ、壁から壁への駆けっこ─ジャックは毎朝のルーティンを、ゲームのように楽しそうにこなす。けれど、出来上がったケーキに火のついたロウソクがないのを見たジャックは、すねて怒り出す。ママはそんなジャックを抱きしめるしかない。そう、この部屋にはロウソクだけでなく、いろんな物がない。窓さえも天窓が一つあるだけだ。
夜になると、ジャックは洋服ダンスの中で眠る。時々夜中にオールド・ニックと呼ぶ男が訪ねてきて、服や食料を置いて行くのだが、ジャックはママの言いつけ通り洋服ダンスから出ない。ママはオールド・ニックに、「ジャックにもっと栄養を」と抗議するが、半年前から失業して金がないと逆上される。さらに、真夜中にジャックがタンスから出てきたことから、ママとオールド・ニックの間に争いが起きる。 翌朝、部屋の電気が切られ、寒さに震えるなか、ママは心を決める。生まれてから1歩も外へ出たことがなく、この部屋が全世界だと信じているジャックに、真実を話すのだ。ママの名前はジョイ、この納屋に閉じ込められて7年、外には本物の広い世界があると聞いて、にわかには信じられず、大混乱に陥るジャック。
電気が回復した部屋で、一人じっと考えを巡らせるジャック。起きてきたママにジャックは、TVを見ながら「カメは本物?これは?」と次々と質問を浴びせ、オールド・ニックをやっつけようと持ち掛ける。だが、閉ざされたドアのカギの暗証番号は彼しか知らない。 外の世界に興味を持ち始めたジャックに勇気を得たママは、ジャックに読み聞かせていた「モンテ・クリスト伯」からヒントを得て、死んだフリをして運び出される計画を立てる。ジャックをカーペットにくるんで、何度も段取りを練習させるママ。ジャックは恐怖からかんしゃくを起こすが、ママからきっと“ハンモックのある家と、ばあばとじいじがいる世界”を気に入ると励まされる。「ママは?」と訊ねられたママは、2度と息子に会えないかもしれないと知って、言葉に詰まる。その時、オールド・ニックの足音が響く─。
失敗に終わりかけた脱出劇が、ジャックの記憶力と出会った人たちの機転で、思わぬ結末に辿り着く。翌朝、病院で目覚めるママとジャック。初めて外の世界へと投げ出されたジャックは、見る物全てに対して驚きと戸惑いでいっぱいだ。ママの両親(ウィリアム・H・メイシー、ジョアン・アレン)が駆けつけるが、二人が離婚したことを知ってショックを受けるママ。 何日間か入院した後、ママとジャックはばあばが新しいパートナーであるレオ(トム・マッカムス)と暮らす家へと帰る。ママは奪われた人生を取り戻すはずだったが、現実の世界は決して楽園ではなかった。予想もつかない出来事が、次から次へとママに襲いかかる。一方、新しい世界での冒険を楽しみ始めたジャックは、傷つき疲れ果てたママのために、あることを決意する─。
(公式サイトより引用)
ネタバレ感想
この作品は昨年末から今年にかけて、一番映画館で予告編を見た気がします。
昨年くらいに予告を見た時は、スルーするタイプの映画かなぁと思っていたのですが、アカデミー賞が近づくにつれて前哨戦を制したり、アカデミー賞では主演女優賞を獲得するなどしたので、見逃せない映画になりました。
実際、予告編を見ただけではどんな映画か分からなくて、メッセージ性のある(エンタメ系じゃなくて)監禁脱出モノというのは分かりましたが、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『カスパー・ハウザーの謎』みたいな映画かなぁと思っていました。
公開が近づくにつれて、誘拐された監禁モノであること。
母親の女性は7年前に監禁されて、5歳になる子供がいること。
脱出してからの生活が描かれていること、というあらすじを知った上で鑑賞しました。
でも、もう、この、「7年前に監禁されて5歳の子がいる」という設定は、レイプされた犯人の子、ということが容易に想像付くので、見る前からどんよりした気分になりました。
映画は母ジョイ(ブリー・ラーソン)と子ジャック(ジェイコブ・トレンブレイ)の演技が見事なので、グイグイと魅せてくれますが、状況が状況なだけに胃がキリキリもしました。
ずっと緊張感を強いられる映画とでもいいましょうか。
映画は前半30分くらいで今置かれている監禁状況を説明し、その後30分くらいかけて脱出のくだり。
後半1時間くらいが実社会での生活という配分だと思います。
ただこの映画、前半の30分が非現実的といいますか「ルームの中に閉じ込められた世界」になっていて、外に出る(或いは、外に出たい、という希望)ということが描かれていないので、脱出シーンの現実となると、あれほどの犯人が簡単に信用するか?という疑問等、やや御都合主義な感じもしなくはありません。
それから、やっぱり実社会に出てからの生活の描き方ですかね。
アメリカには『ランボー』という映画がありましたけど、PTSDという言葉を忘れたのかと。
あれだけの監禁生活を強いられたにしては、病院でケアされる時間が短い点が気になりまして、リアリティの部分でやや疑問が残りました。
ただ、やっとの思いで脱出して、ジジ、ババに会えても、既に両親は離婚(誘拐された時点で両親は離婚してたかもしれませんが)してたり、加熱する報道合戦やテレビ局のインタビューなどは、現実のアメリカらしいなとも思いました。
事件の被害者と報道の関わりという点で『ゴーン・ガール』や『さよなら渓谷』を思い浮かべました。
それで、この映画見ながら、どういうことが言いたいのか考えてたんですけど、前半の方で犯人が、もう半年も失業しているみたいなこと言ってて、ジョイ(ブリー・ラーソン)も鬼嫁みたいな感じで「何やってるの早く仕事見つけて!」みたいなことを言ってて、ちょっと分からなくなったんですよね。
犯人は犯罪者なんですけど、実社会と関わりを持ってて外で仕事をしてお金を稼いで、ボロいですけど、住む所と食べる物は与えている。
一方のジョイは自由は無いですけど、住む所と食べる物は保証されていて、自分の子供ともじっくりと向き合って生活できている。
ちょっと待機児童の問題とかも考えたりしたんですよね。
子供が小さいうちはやっぱり母親でも父親でも子供と長い時間一緒に居られた方がいいでしょうが、実際の現実は生活の為に早くから共働きをしなければならず必死に保活してるんですが、ジョイの場合はそれが出来ている、とか。
実社会は自由があって物も満たされてるけど、自由過ぎるがゆえに歯止めが利かなくなっていて、逆に生き辛いみたいな描写もあって、例えば狭いルームに対して、両親の家は新築で広くて綺麗なんだけど、広すぎるから逆に母親と身を寄せ合って生活することができなかったり、色んな美味しそうな食事も持ってくるんですが、ババの再婚相手のレオと心通わせるシーンは、長年ルームで食べ慣れていたシリアルだったりとか。
あと、スマホのゲームをさせたくないというシーンとかもありましたね。
まあ、この辺の描写は、人(犯人)へでは無くて、場所へのストックホルム症候群みたいなものなのかな?とも考えられるのですが、どうもあのルームに戻りたいみたいな描写もあったので分からなくなりました。
ただ映画全編を通して見るとそういう所には帰結してなくて、何となく想像が付く通りに、子供の方は変化に柔軟に対応し、大人の方は立ち直るのに時間がかかるけれど、最後は実社会に適応した感じでハッピーエンドという展開でした。
ラスト、監禁されてた納屋(ルーム)を見に行って、こんなに狭かったっけ?と思うジャック。
トイレやタンスにさよならを言って、ちゃんとそういうノスタルジックな思いは断って、やっぱりああいう管理された共産主義じゃなくて、資本主義・新自由主義を選択した?という解釈でいいのかなぁとか思ったりしました。
鑑賞データ
TOHOシネマズ日劇 TOHOシネマズデイ 1100円
2016年 36作品目 累計43800円 1作品単価1217円
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