アクト・オブ・キリングは壮大な前フリ ☆4点
予告編
映画データ
あらすじ
虐殺で兄が殺害された後、その弟として誕生した青年アディ。彼の老いた母は、加害者たちが今も権力者として同じ村に暮らしているため、半世紀もの間、亡き我が子への想いを胸の奥に封じ込め、アディにも多くを語らずにいた。2003年、アディはジョシュア・オッペンハイマー監督が撮影した、加害者たちへのインタビュー映像を目にし、彼らが兄を殺した様子を誇らしげに語るさまに、強い衝撃を受ける。
「殺された兄や、今も怯えながら暮らす母のため、彼らに罪を認めさせたい―――」
そう願い続けたアディは、2012年に監督に再会すると、自ら加害者のもとを訪れることを提案。しかし、今も権力者である加害者たちに、被害者家族が正面から対峙することはあまりに危険だ。眼鏡技師として働くアディは、加害者たちに「無料の視力検査」を行いながら、徐々にその罪に迫る。加害者たちの言葉から浮かび上がるのは、“責任なき悪”のメカニズム。さらには、母も知らなかった事実が明らかにされてゆくのだった。半世紀もの間、恐怖によって“沈黙”を強いられてきた被害者たちの想いが、いま溢れ出す…。(公式サイトより引用)
ネタバレ感想
『アクト・オブ・キリング』のときのレビューです。
当初撮りたかった、被害者側の視点から撮影したのが本作『ルック・オブ・サイレンス』となります。
戦争犯罪(内戦犯罪)を認めさせるという点でこちらの方が『ゆきゆきて、神軍』に近いですが、奥崎謙三氏と違って、暴力的でなかったのがよかったです。
本作の主役のアディさんの、タイトル通りの「静かな眼差し」は、被害者側といえども決して感情的にならず、理知的な姿勢で、お互いの理解を深めていこうとする姿勢は、私たちも見習わなければいけないと思いました。
本作で興味深かったのは、この撮影の中で加害者側・被害者側、どちらの家族にも知らなかった事実が明らかになる点です。
加害者側では大量殺人を犯した者の中には、良心の呵責からか気が触れる者もいて、それを克服するために被害者の血を飲んだことを告白するのですが、さすがに加害者側の家族も、英雄だと思っていた父がまさかそんなことをしていたのかと知り、若干引くのです。
というか、家族は「父親は悪い共産主義者たちをやっつけた英雄」というくらいの、ざっくりとしたことしか知らないのです。
もう大量虐殺以降続いている現政権の教育がそうなっているから知らないんですね。
それから被害者側のアディさんにも知らなかった事実が明らかになります。
殺されることになるお兄さんが収容された施設で看守をしていたのが、叔父(母親の弟)さんだったのです。
これはアディさんもアディさんの母も知らなかった事実で、間接的とはいえ加害者家族の立場にもなる訳で、ここにも争いごと(戦争・内紛)の悲しさが表れています。
オッペンハイマー監督は元々、被害者側の視点からのドキュメントを撮りたかったのですが、現政権下では難しく、結果的に前作の『アクト・オブ・キリング』の形となった訳ですが、本作は無事撮影、上映出来ましたが、主役のアディさんは現在、故郷から遠く離れた街で転々としながら暮らさなければならないようで、まだまだ民主主義には遠い現実に愕然とさせられます。
鑑賞データ
シアター・イメージフォーラム 一般料金 1800円
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