フィクションとノンフィクションの境界を行く ☆4.5点
2015年8月21日、アムステルダム発パリ行きの高速鉄道タリス内で起きた無差別テロ事件をクリント・イーストウッド監督により映画化。
主演を実際の事件で犯人を取り押さえた本人たち、スペンサー・ストーン、アレク・スカラトス、アンソニー・サドラーが演じた作品。
予告編
映画データ
本作は2018年3月1日(木)公開で、全国237館での公開です。
予告編は頻繁に目にしましたが、230館規模での公開とそこまで大規模公開でもないんですね。
予告編を見ながら、どんな事件だったか思い返してみたんですが、最近の事件なんですけどあんまり印象に無いんですよね。
自分は報道を目にしなかったかもしれません。
監督はクリント・イーストウッド
なぜか、あんまり監督作品を見たことことが無く『アメリカン・スナイパー』も未見です。
『ハドソン川の奇跡』はWOWOWでやってたのを見ましたが面白かったですね。
主演3人は後述するとして、出演者で見たことある顔はスペンサーの母役のジュディ・グリアぐらいです。
近作は『トゥモローランド』『ジュラシック・ワールド』を観てます。
他に共演と配役は以下の通りです。
スペンサー・ストーン: 本人
アレク・スカラトス: 本人
アンソニー・サドラー: 本人
ジョイス(スペンサーの母): ジュディ・グリア
ハイディ(アレクの母): ジェナ・フィッシャー
マイケル・エイカース校長: トーマス・レノン
ヘンリー先生: P・J・バーン
マーレイ先生: トニー・ヘイル
あらすじ
2015年に起きたパリ行きの特急列車内で554人の乗客全員をターゲットにした無差別テロ襲撃事件。極限の恐怖と緊張感の中、武装した犯人に立ち向かったのは、ヨーロッパを旅行中だった3人の心優しき若者たちだった。なぜ、ごく普通の男たちは死の危険に直面しながら、命を捨てる覚悟で立ち向かえたのか!? 本作では、なんと主演は“当事者本人”という極めて大胆なスタイルが採用された。実際の事件に立ち向かった勇敢な3人がそれぞれ自分自身を演じている。さらに乗客として居合わせた人たちが出演し、実際に事件が起こった場所で撮影に挑んだ究極のリアリティーを徹底追求した前代未聞のトライアル。我々はこの映画で“事件”そのものに立ち会うことになる。 まだ誰も踏み入れたことのない新しい映画の可能性。87歳を迎えても尚、新たな挑戦を続けるトップランナーは、いつ、どこでテロに直面してもおかしくない今、我々誰もができること、必要なことを提示する。
当事者の目線から今の時代を生きる私たちすべてに問いかける真実と現実。(公式サイトより引用)
ネタバレ感想
鑑賞中は実話ということしか知らなくて、主演の3人が実際に事件に遭われた方たちだと知らなかったんですけど、プロの俳優さんと全く遜色なくて、クリント・イーストウッド監督の手腕恐るべしと思いました。
2015年に濱口竜介監督の『ハッピーアワー』という映画がありましたけど、ワークショップから派生した作品で素人の女優さんたちがロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞を受賞しましたが、それに近い感じと思いました。
主演の3人はアメリカはサクラメント出身の幼馴染で、1992年生まれなので事件当時22~3歳のようです。
スペンサー・ストーンさんはアメリカ空軍兵
アレク・スカラトスさんはオレゴン州兵でアフガニスタン駐留帰り
アンソニー・サドラーさんは大学生です。
本作は話の進め方とか編集は『ハドソン川の奇跡』に似てると思います。
事件そのものをがっつり描くのではなくて、『ハドソン川の奇跡』のときは事故後の公聴会からを遡って描き、本作では3人の少年時代からが描かれます。
ただ『ハドソン川の奇跡』ではトム・ハンクスとアーロン・エッカートという名優を配したのに対し、本作は当事者を起用するという大胆なキャスティングです。
冒頭は犯人が列車に乗り込む様子を、足元とリュックだけを映して描くと、時間は主人公たちの少年時代に飛びます。
キリスト教系の小学校に通ってるスペンサーとアレクは担任からしょっちゅう保護者の呼び出しをくらいます。
2人共両親が離婚してて母親に育てられてましたが、担任曰く、授業中に落ち着きがなくADD(注意欠陥障害)だと言われます。
学校の先生たちは、何かあるとすぐに校長室送りにしますが、そこでスペンサーとアレクはアンソニーと知り合います。
アンソニーは弁が立つんですが、校長先生からは学校一の問題児とみなされていて、スペンサーとアレクに関わっちゃいけないと言います。
しかし似た者同士の3人はすぐ意気投合し仲良くなります。
ミリタリーオタクであるスペンサーとアレクはサバイバルゲームをしてよく遊んでますが、アンソニーも誘って3人で遊ぶようになります。
しかし、母親だと問題行動が収まらないと考えた学校の意向もあってアレクは父親に引き取られるとオレゴンに転校してしまい、離れ離れになってしまいます。
スペンサーとアンソニーは高校生になってもテレビゲームとかしたりして仲良く遊んでます。
アレクとはビデオチャットして、友人関係が続いていました。
スペンサーは空軍のパラレスキュー部隊(PJ)を志望し、アレクはオレゴン州兵、アンソニーは大学に進路を取ります。
スペンサーは高校時代、不摂生がたたって太っており、アンソニーからPJなんて無理だと言われますが、一念発起してダイエットと体力作りに励んで空軍に採用されます。
しかし配属先を選ぶ際に志望したPJがありませんでした。
スペンサーは全てのテストで合格していたはずでしたが、奥行き知覚の検査だけ不合格でPJを選択することが出来ず、挫折を味わいます。
気を取り直してSERE(生存、回避、抵抗、脱走)の指導教官候補生を選択しますが、SEREでは裁縫などの科目があり、ここでも落第してしまいます。
結局、小学校時代と変わらず、落ちこぼれのレッテルを貼られると、「兵を救う、国を救う」という崇高な理想は空回りに終わりそうなのでした。
一方、アフガニスタンに駐留していたアレクも、「民間の警備会社よりも暇だ」と嘆いてアフガニスタンの駐留が終了しようとしていました。
スペンサーはアレクのアフガニスタン駐留終了を祝ってヨーロッパ旅行を企画します。
スペンサーは大学生のアンソニーも誘うと、イタリアのヴェネツィアで合流します。
アレクとはドイツで合流する予定でした。
スペンサーとアンソニーはヴェネツィアでアメリカから来た女性観光客と知り合い、旅行計画に入れているパリについて聞きますが、女性観光客はパリはいまいちだったと言い、2人はパリに行くか迷います。
ヴェネツィアとローマを観光した2人は、ドイツに向かいます。
ドイツに着いたスペンサーがパブで飲んでると、隣で飲んでるドイツ人からアムステルダムはいいぞと聞かされます。
(なんか、このノリは『ホステル』みたいです(笑))
結局、おじさんが語るアムステルダムの魅力に抗えず、パリは保留してアムステルダムに向かいます。
アムステルダムではアレクも合流し、クラブで美女と密着して踊るなど楽しい思いをしますが、羽目を外しすぎて翌日は二日酔いでした。
3人はアムステルダムに来てからはパリ行きをどうするか決めかねていましたが、スペンサーはやっぱりパリのエッフェル塔でセルフィ(自撮り)したいと言うとパリ行きを決めます。
かくして本来ならばドイツからパリへ行くはずだった3人が、15時17分、アムステルダム発パリ行きの高速鉄道タリスに乗ることになるのでした。
3人はアムステルダム駅でタリスに乗車する際に、足の不自由な老人の介助を手伝うと、そのまま2等車両に乗車します。
列車が走り出すとしばらく3人は2等車両に乗車してましたが、インスタグラムをアップするために電波が無いことが分かると、Wi-Fiのある1等車両に移動し、そこで事件に遭遇することになります。
車両中央に座った彼らでしたが、車両最前列の席の男性がトイレに入ったまま10分以上出てこない人物を不審に思い確認に行ったところ、トイレから上半身裸でライフルを持った男が出てきます。
男性が取り押さえようとしたところ発砲され、その銃声で3人は事件に気付くという次第です。
スペンサーは犯人の様子を窺うと、犯人が更に発砲しようとしたところ弾詰まりが起きたため、そのタイミングでタックルして取り押さえますが、その際に犯人がナイフを取り出して暴れたため、親指は切断スレスレと首には裂傷を負います。
ちなみに一瞬ですが、斬られた親指がぶらぶらする描写があるため、アメリカではR指定になりそうでしたが、イーストウッド監督が抗議してPG-13になったそうです。
テロの恐怖を正しく伝えるためにもイーストウッド監督の主張は当然だと思いました。
3人はもう1人の乗客(これも本人が演じてます)の手も借りて犯人を縛り上げると、スペンサーは撃たれた人の止血をし励まし続けます。
スペンサーのSEREでの経験が生きてくる訳です。
列車が次の駅で停車し、警官隊と救命が乗り込んできて事件が解決すると、後日、フランス政府に表彰されるシーンを経て映画は終わります。
クリント・イーストウッド監督作で最短の94分の上映時間となる本作ですが、面白かったですね。
個人的には『ハドソン川の奇跡』(上映時間96分)と遜色ないか、或いは上回る評価なんですけど、レビューサイトを見ると全く評価が違いますよね。
例えばロッテントマトですと、ハドソン川の奇跡が86%と84%なのに対し、本作は25%と45%ですし、ヤフー映画だとハドソン川4.18点に対し、本作は3.49点と低いです。
きっと主人公たちの少年時代とヨーロッパ旅行の描写をどう見るかで評価が変わってくると思うんですが、自分は面白いと思いましたね。
まずスペンサーとアレクはキリスト教系の小学校に通ってるんですが、なんで公立の小学校じゃないのかな?と思ったんですよね。
そして担任から発せられるADDの言葉で、受け入れ先がなくこの学校に回ってきたと想像しました。
ただ担任はADDは薬で対処できると言って、スペンサーやアレクの個性や長所を見ようとはしません。
統計的に母子家庭だとADDが増えると言って母親を責めます。
それに対してスペンサーとアレクの母親は子供たちを庇います。
小学校でのスペンサーたちの描写を見る限り、他の子たちとは違っていますが、決定的に何か悪いことをしてる訳ではありません。
アンソニーにしてもそうです。
アンソニーは子供にしては弁が立ちますが、言い換えれば真理をついていて、先生にとって耳障りなだけです。
校長先生はスペンサーとアレクに、アンソニーと関わるなと言いますが、先生たちの方がどうかしてると思います。
スペンサーとアレクのミリオタぶりは、大抵の男の子ならば子供の頃G.I.ジョーに憧れるように、ヒーローへの憧れが発展したものだと思います。
その中で国を守るとか、弱者を助けるといった心が形成されていったのでしょう。
因みに、スペンサーの部屋に『フルメタル・ジャケット』のポスターが貼られてるのがツボでした(笑)
しかし、使命感に燃えていたスペンサーとアレクは軍に入って挫折を味わいます。
何者かになれると期待していた若者が、何者にもなれないと知ったときでした。
しかし人生とは奇妙なもので、軍では何者にもなれなかった2人が、休暇中に事件に遭遇します。
しかも、当初の予定通りならば事件に遭遇しなかったものが、導かれるように事件に遭遇するわけです。
ドイツのバーでおじさんからアムステルダムのことを聞かなければ、アムステルダムに行かなかった訳ですし、パリ行き自体が中止になる可能性もありました。
タリスに乗車しても、彼らが1等車両に移動してなければ、乗客の被害は拡大していたことでしょう。
こういう彼らの少年時代からの使命感とか、旅行での偶然を見ながら、南方熊楠が考える「縁」や「起」とか、偶然とか因果律について思いを馳せて観ていましたし、監督もそういうところが描きたかったんじゃないかなぁと漠然と思いました。
テロの事件を描いているんですが哲学的といいますか。
そういうところが賛否両論分かれる要因なのかなぁと思います。
あと旅行のシーンは単純に旅番組見てるみたいで楽しかったです。
バックパッカーみたいな旅なので自分が旅してる気分になりました。
ヨーロッパの各国は地続きで近いので楽しそうだなぁと思いました。
最初にも書きましたが、この事件は知らなかったんですが、調べてみるとフランスの俳優ジャン=ユーグ・アングラードも乗車してたみたいで興味深いですね。
ちょっと日航機墜落事故の坂本九さん思い浮かべました。
それから犯人と格闘して大怪我をしたスペンサーさんが、1か月後には別の事件で刺されたそうで
この怪我も克服されて映画に出演されてるんだから、人生何が起こるか分からないなぁと思いました。
鑑賞データ
丸の内ピカデリー SMTメンバーズ割引クーポン 1200円
2018年 39作品目 累計29300円 1作品単価751円
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