タリウム少女の毒殺日記 評価と感想/テーマはすごく広いです

タリウム少女の毒殺日記 評価と感想
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なかなか深イイと思いました ☆4点

予告編

映画『タリウム少女の毒殺日記』予告編

映画データ

タリウム少女の毒殺日記|映画情報のぴあ映画生活
『タリウム少女の毒殺日記』は2012年の映画。『タリウム少女の毒殺日記』に対するみんなの評価やクチコミ情報、映画館の上映スケジュール、フォトギャラリーや動画クリップなどを紹介しています。

あらすじ

物語なんてないよ。プログラムしかないんだよ。

科学に異常な関心を示す≪タリウム少女≫は、蟻やハムスター、金魚など、様々な生物を観察・解剖し、その様子を動画日記としてYouTubeにアップすることが好きな高校生。

彼女は動物だけでなく、アンチエイジングに明け暮れる母親までも実験対象とし、その母親に毒薬タリウムを少しずつ投与していく…。
さらに彼女は、高校で壮絶なイジメにあう自分自身をも、一つの観察対象として冷徹なまなざしで観察していた。

「観察するぞ、観察するぞ…」

≪タリウム少女≫は、自らを取り囲む世界を飛び越えるために、新しい実験を始める。

公式サイトより引用)

ネタバレ感想

タリウム少女の事件を通して、現代の様々なファクターに焦点をあてた作品だと思います。

テーマはホント広いと思うので、どれか一つというのは無いと思うのですが、例えば「合理性と倫理性」のどちらを取るかとか、なぜ可愛がってた金魚を殺してはいけなくて食卓に焼き魚が出るのはいいのかとか、結構深い哲学的なお話だと思います。

映画の中のタリウム少女は、笑ったり、泣いたり、怒ったり、一切の感情を排してるように見えますが、観察して完璧な傍観者になることを望んでいる訳である意味「神の視点」に立とうとしている訳ですが、対象を観察するというのはその対象や対象の変化に興味がある訳で、一切の感情が無い訳では無いんですよね。
自分の中で面白いか面白くないかの感情はある。

だから映画の最後で母親にタリウムの投与を止めたのは納得できます。
対象に興味が無くなったから、面白くなくなったからだと思います。

思えば産業革命以降の近代は合理性を優先して加速度的に発展してきた訳ですが、じゃあこの先はどうするのかっていう話だと思います。

人体改造アーティストがやっていたように、人体にマイクロチップを埋め込めば犯罪を抑止することは出来なくても、犯人を簡単に捕まえることが出来たり、大学の先生などが言っていた難しくてよく分からないんですけど、今話題のiPS細胞とか豚から人の臓器を作るとか、そういうのはいつも、その技術革新を利用するのかいや倫理的(感情)にマズいからしないのか、っていう対立だと思うんですよね。

タリウム少女に対する親や先生のように、この社会も、どれが正しくて正解かなんて言えないと思うんですよね。
ただ「大勢の意見はこっちだろう」みたいなのがあるだけで。
だからマイノリティの生き辛さ(学校ではいじめにあいますし)も描かれていたかなぁなんて思います。

映画は最後、人体改造アーティストと自転車で疾走するのは良かったですね。
人間らしくなったようで希望が持てる終わり方で好きです。

この映画、連日上映後、監督がトークをされていたようで、この映画は観た人で色々語るのにいい映画ですよね。
公開前の予告で観たいと思っていたのですが、なんとなくタイミングを逃して終映ギリギリの鑑賞になってしまったので監督のトークが無かったのですが、色々お話しを聞きたかったなぁと思いました。

鑑賞データ

渋谷アップリンク 会員料金 1000円

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