アデルにいつか満たされる日があることを ☆5点
予告編
映画データ
あらすじ
上級生のトマ(ジェレミー・ラユルト)とのデートへ向かう途中、信号を待っていたアデル(アデル・エグザルコプロス)の呼吸が止まる。道の向こうのブルーの髪の女に目を奪われたのだ。すれ違いざまに振りかえり、アデルを射抜くような瞳で見つめる女。一瞬、アデルの視界から、彼女以外のすべてが消えた。
自分のしていることが全部ウソだと感じたアデルは、翌日トマに別れを告げる。学校でイヤなことがあったアデルは、同級生に誘われるまま夜の街へと出かける。友人と別れて偶然入ったバーに、ブルーの髪の女がいた。女の名はエマ(レア・セドゥ)、美学生だった。
校門を出るアデルを、エマが待っていた。木の下のベンチに座って、アデルを描くエマ。知的な会話、クールな眼差し、そんなエマにアデルは急速に惹かれていく。週末、美術館へ行き、公園でランチを食べ語り合う。寝そべってキスを交わした二人は、そのままエマのアパートへ向かい、激しく求め合う。
エマの両親を訪ねたアデルを、二人は自然に娘の恋人として歓迎する。高価なワインで乾杯し、先生になりたいと話すアデルに、優しく助言する両親。別の日、今度はアデルがエマを家に招いた。アデルの両親は絵では食べていけないだろうと心配し、恋人の仕事は何かと尋ねる。エマは、娘の年上の友だちでしかなかった。
数年後、アデルは教師になり、画家になったエマのモデルをつとめながら、彼女と一緒に暮らしていた。ある時、エマは絵の披露をかねて友人を招いてパーティを開く。そのパーティの後、アデルはエマがパーティの間ずっと親密に話していた、画家リーズとの関係を疑いはじめる…
(公式サイトより引用)
ネタバレ感想
予告編で観てレズ映画であること、去年のカンヌ映画祭でグランプリを受賞したこと。
そしてあのスピルバーグが大絶賛したこと、更にSEXシーンがかなりエロいとのことで、股間を膨らませて鑑賞に行こうと思ったら、上映時間約180分ということで躊躇してしまいました。
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』以来の3時間映画だ。
結論としては良かったです。
序盤少し眠くて危なかったですが、1時間くらい乗り切ったところで、噂のSEXシーン。
これはロマンポルノかっていうくらいエロくて完全に眠気が吹き飛びました。
その後は集中力が途切れることなく最後まで鑑賞。
この映画、レズ映画と見る向きもありますが、性差を超えて普遍的な愛の映画だと思いました。
アデルとエマの愛の物語。
エマは完全にレズビアンですが(周囲にカミングアウトしてるし)、アデルはどっちつかずというか、自分の中でもはっきりと気づいてなくてもやもやしている。
ただ言えるのは愛した人がたまたま女で、これまたSEXの相性が抜群に良かったということ。
アデルは最初、高校時代にお互いに気になっていた男性と付き合いますが、なんとなく別れてしまいます。
次にクラスメートの女友達に綺麗と言われ、流れで熱いキスを交わしますが、翌日にはそういうつもりではなかったと拒否られてしまいます。
仲のよかったクラスメートの女友達のグループからも、お前はレズビアンなのか気持ち悪いと罵られますが、自分は違うと頑なに否定します(というかこのシーンでフランスでもまだ偏見あるんだと思いました)。
アデルとエマの関係を見ていくと、このまま付き合っていても先が無いのは見えているんですよね。
これが男女であっても。
周囲にもレズビアンであることを公言し家族にも理解を得られていて、安定を捨て芸術の道をひた走るエマと、自分が完全なレズビアンかさえも分からず、周囲にはエマと付き合っていることを隠し、保守的な父母の元、安定した教師の道を歩むアデル。
エマはアデルに文を書くことを勧めるのですが、その一歩を踏み出さないアデル。
周囲にエマと付き合ってることを隠すアデルは、この映画で保守的な物の象徴として描かれていると思います。
本が好きで英語も好きでアメリカ映画も好きなアデルですがアメリカには行った事がない。
エマのパーティで知り合ったアラブ系のアクション俳優の男性とアメリカ映画の話で盛り上がると聞かれます。
「ニューヨークには行ったことあるの?」って。
「ニューヨークはいいよ、映画のまんまだよ、是非行ってみるといいよ」って。
映画の終盤で久しぶりにまたこの男性と会って、あれからニューヨークに行ったか聞かれますが、やっぱり行ってないんです。
行かないんですアデルは。
一歩を踏み出さないんです。
劇中のアデルは終始満たされることなく、どこか漂っているようで、物憂げな表情が印象的でした。
アデルが満たされる日は来るのでしょうか?
鑑賞データ
ヒューマントラストシネマ有楽町 TCGメンバーズ ハッピーチューズデー 1000円
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